ジョンベネ事件 犯人 兄!? 世界仰天ニュース [事件]
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ジョンベネ事件 犯人 兄についての記事です
今ジョンベネ事件が話題になっています
2013年の今年新たな真実が明かされるかもしれないのです
真犯人は家族、兄、外部的犯行?
今までいろいろな噂が上がりましたが結局のところジョンベネ事件の真犯人はわかっていません
なぜジョンベネ事件の真犯人はいまだにわからないのか?
事件の概要
1996年12月25日、クリスマスの夜ジョンベネ嬢は両親や友人たちとともにクリスマスパーティーを楽しみ自宅に戻る途中、車内で寝てしまったため家に着くと父が彼女を抱き抱えてベッドまで連れていったという。残念ながらそれが生きているジョンベネ嬢を見た最後の姿となった。
翌朝、娘がベッドにいないことに気づいた両親は屋内の階段で手紙が置かれているのを発見する。
「午前8時から10時までに連絡する。警察に連絡したらおしまいだ。身代金11万8000ドルを用意しろ」というメモはラムジー家にたまたま置いてあったメモに3枚にわたって書きつづられていた。
母親はただちに警察に連絡し、少女誘拐事件として捜査本部が設置される。
その後家族や捜査員、そして急を聞いてかけつけた友人たちが屋内を捜索したのだが、このとき家族と友人たちの介入を見過ごして現場保存を怠ったことが捜査本部のミスとして重くのしかかってくることとなる。
犯人のものと思われるメモの予告時間を過ぎた午前10時になっても連絡はなかった。
そして念のためもう一度屋内を捜索したところ、前回の捜索で唯一見忘れていた地下室で変わり果てたジョンベネ嬢の遺体が発見されたのである。
彼女は6歳という未熟な幼女でありながら性的に暴行されており、口はガムテープで塞がれ頭を鈍器のようなもので殴られた後があった。首には絞殺の紐痕があって彼女の死因は絞殺による窒息死であると鑑定された。
この後脅迫文が男が内容を言い女が書いたなどと鑑定され、また犯人の要求額が父親ジョンが受け取ったボーナスの額とほぼ同額であった(ラムゼー家の経済状況を考えれば要求額は低額すぎた)
ことから警察の容疑は次第に両親に向き始める。
警察に疑われていることに気づいたラムゼー家はその後弁護士を雇い捜査に協力しなくなった。
ジョンベネ嬢が発見された地下室の窓の外には鉄柵があり、そこに複数の人間を思わせる足跡が発見されるも父親犯行説に傾いていた捜査本部はそれを重視しようとはしなかった。
この事態に両親は記者会見で潔白と一刻も早い犯人逮捕を訴えるが、泣き叫ぶでもなくボンヤリした母パトリシアと終始うつむいたままの父ジョンの印象は最悪であり、ますます疑いを深めるという結果に終わった。
捜査本部は「証拠はそろっている。もうすぐ犯人を逮捕する」と強気な声明を発表したが現実は厳しかった。
何より初動捜査の現場保存のミスが響いており、特にジョンベネ嬢の遺体は啼いて取りすがった両親の涙で衣服からの付着物の採取が難しい状態にあったのである。
さらにジョンベネ嬢の殺害から数カ月後、ジョンベネとも面識のあるダンス教室の生徒が暴行され誘拐されかかるという事件が発生する。
暴行目的で身代金には全く触れない、また犯行後家の中に隠れ窃盗した形跡もないなど幼児性愛者の犯行であることが予想され、ジョンベネ殺害事件の犯人ではないかと憶測が流れる。
この日ラムゼー一家にはアリバイがあり、この事件後彼らに対する容疑は薄れたとも伝えられる。
当初内部犯行を予想していた捜査本部は一転外部犯を想定した捜査を開始したが時すでに遅かった。
証拠はあらかたが散逸しており目撃証言もなく、さらに心証を極限まで害していたラムゼー家が捜査に協力することもなかった。
その後も家族内犯行説は根強く捜査本部に残留していたが、DNA鑑定の結果はシロ。ジョンベネの衣類などから採取されていた犯人のものとされる男のDNAが、家族の誰とも一致しなかった。当時捜査にあたっていた元捜査官の中には今なお内部の犯行であることを断言するものもいるが、科学捜査的にはもはやラムゼー家の無罪は動かない事実である。
近年、私がジョンベネを殺害した。
と自白するものがおり、真犯人現る!と報道が過熱したが結局DNAの鑑定の結果はシロ。
実の娘を幼くして失ったにもかかわらず犯人扱いされ、さらに父ジョン氏などはタブロイド誌に幼児虐待や幼児性愛者であるかのごとく報道されたこともありラムゼー家は住み慣れたボルドーからの引っ越しを余儀なくされた。
2006年6月には母パトリシアが卵巣癌を再発させ他界。もともと彼女は1993年にこの卵巣癌を患っており、ジョンベネ嬢が様々なコンテストに幼くして参加したのも彼女の身体が元気なうちにという事情もあったという。
いったい誰がジョンベネ嬢を殺したのか。
犯人は単独なのか複数なのか。
犯人は幼児性愛者なのか、あるいはラムゼー家に対する怨恨なのか。
どんな犯人であるかという青写真すら捜査本部は現在もなお描くことが出来ずにいる。
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世界仰天ニュースでの新事実
事件の元主任捜査官ジェームスが全ての資料や画像を全て見直し、事件を洗い直した。
そこで新たな真相がわかったようだ。
実際にラムジー家で現場検証をしているVTRと事件当時のVTRとを見比べると、事件当時の地下室の窓にはクモの巣が残っていた。犯人が外部から進入したとしたらクモの巣は残るはずがない。
犯人が残したと思われた地下室のブーツの跡は兄のブーツや警察のブーツの痕跡の可能性が高い。
スタンガンの跡と思われていた、体に残されていた傷。
内部犯行であればスタンガンを使う必要はなかったと思われた。事件当日のラムジー家の写真を見返し、鑑識に再鑑定を依頼。体に残されていた傷は兄の電車の線路のおもちゃの傷幅と一致。
外部犯行理由と思われていた3点が見直され、ジェームスは内部犯行の疑いを強めた。
2009年 ジェームスが事件の全てを調べ直した資料を再提出。
それによって、再び事件が動き始める。
父親は生出演で兄・バークは当時9歳、29キロという体型。犯行できるはずがない。と語る。
そして、娘への愛情、何も隠すことはないから今日この場に来ていると話した。
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ジョンベネ事件 犯人 兄についての記事です
今ジョンベネ事件が話題になっています
2013年の今年新たな真実が明かされるかもしれないのです
真犯人は家族、兄、外部的犯行?
今までいろいろな噂が上がりましたが結局のところジョンベネ事件の真犯人はわかっていません
なぜジョンベネ事件の真犯人はいまだにわからないのか?
事件の概要
1996年12月25日、クリスマスの夜ジョンベネ嬢は両親や友人たちとともにクリスマスパーティーを楽しみ自宅に戻る途中、車内で寝てしまったため家に着くと父が彼女を抱き抱えてベッドまで連れていったという。残念ながらそれが生きているジョンベネ嬢を見た最後の姿となった。
翌朝、娘がベッドにいないことに気づいた両親は屋内の階段で手紙が置かれているのを発見する。
「午前8時から10時までに連絡する。警察に連絡したらおしまいだ。身代金11万8000ドルを用意しろ」というメモはラムジー家にたまたま置いてあったメモに3枚にわたって書きつづられていた。
母親はただちに警察に連絡し、少女誘拐事件として捜査本部が設置される。
その後家族や捜査員、そして急を聞いてかけつけた友人たちが屋内を捜索したのだが、このとき家族と友人たちの介入を見過ごして現場保存を怠ったことが捜査本部のミスとして重くのしかかってくることとなる。
犯人のものと思われるメモの予告時間を過ぎた午前10時になっても連絡はなかった。
そして念のためもう一度屋内を捜索したところ、前回の捜索で唯一見忘れていた地下室で変わり果てたジョンベネ嬢の遺体が発見されたのである。
彼女は6歳という未熟な幼女でありながら性的に暴行されており、口はガムテープで塞がれ頭を鈍器のようなもので殴られた後があった。首には絞殺の紐痕があって彼女の死因は絞殺による窒息死であると鑑定された。
この後脅迫文が男が内容を言い女が書いたなどと鑑定され、また犯人の要求額が父親ジョンが受け取ったボーナスの額とほぼ同額であった(ラムゼー家の経済状況を考えれば要求額は低額すぎた)
ことから警察の容疑は次第に両親に向き始める。
警察に疑われていることに気づいたラムゼー家はその後弁護士を雇い捜査に協力しなくなった。
ジョンベネ嬢が発見された地下室の窓の外には鉄柵があり、そこに複数の人間を思わせる足跡が発見されるも父親犯行説に傾いていた捜査本部はそれを重視しようとはしなかった。
この事態に両親は記者会見で潔白と一刻も早い犯人逮捕を訴えるが、泣き叫ぶでもなくボンヤリした母パトリシアと終始うつむいたままの父ジョンの印象は最悪であり、ますます疑いを深めるという結果に終わった。
捜査本部は「証拠はそろっている。もうすぐ犯人を逮捕する」と強気な声明を発表したが現実は厳しかった。
何より初動捜査の現場保存のミスが響いており、特にジョンベネ嬢の遺体は啼いて取りすがった両親の涙で衣服からの付着物の採取が難しい状態にあったのである。
さらにジョンベネ嬢の殺害から数カ月後、ジョンベネとも面識のあるダンス教室の生徒が暴行され誘拐されかかるという事件が発生する。
暴行目的で身代金には全く触れない、また犯行後家の中に隠れ窃盗した形跡もないなど幼児性愛者の犯行であることが予想され、ジョンベネ殺害事件の犯人ではないかと憶測が流れる。
この日ラムゼー一家にはアリバイがあり、この事件後彼らに対する容疑は薄れたとも伝えられる。
当初内部犯行を予想していた捜査本部は一転外部犯を想定した捜査を開始したが時すでに遅かった。
証拠はあらかたが散逸しており目撃証言もなく、さらに心証を極限まで害していたラムゼー家が捜査に協力することもなかった。
その後も家族内犯行説は根強く捜査本部に残留していたが、DNA鑑定の結果はシロ。ジョンベネの衣類などから採取されていた犯人のものとされる男のDNAが、家族の誰とも一致しなかった。当時捜査にあたっていた元捜査官の中には今なお内部の犯行であることを断言するものもいるが、科学捜査的にはもはやラムゼー家の無罪は動かない事実である。
近年、私がジョンベネを殺害した。
と自白するものがおり、真犯人現る!と報道が過熱したが結局DNAの鑑定の結果はシロ。
実の娘を幼くして失ったにもかかわらず犯人扱いされ、さらに父ジョン氏などはタブロイド誌に幼児虐待や幼児性愛者であるかのごとく報道されたこともありラムゼー家は住み慣れたボルドーからの引っ越しを余儀なくされた。
2006年6月には母パトリシアが卵巣癌を再発させ他界。もともと彼女は1993年にこの卵巣癌を患っており、ジョンベネ嬢が様々なコンテストに幼くして参加したのも彼女の身体が元気なうちにという事情もあったという。
いったい誰がジョンベネ嬢を殺したのか。
犯人は単独なのか複数なのか。
犯人は幼児性愛者なのか、あるいはラムゼー家に対する怨恨なのか。
どんな犯人であるかという青写真すら捜査本部は現在もなお描くことが出来ずにいる。
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事件の元主任捜査官ジェームスが全ての資料や画像を全て見直し、事件を洗い直した。
そこで新たな真相がわかったようだ。
実際にラムジー家で現場検証をしているVTRと事件当時のVTRとを見比べると、事件当時の地下室の窓にはクモの巣が残っていた。犯人が外部から進入したとしたらクモの巣は残るはずがない。
犯人が残したと思われた地下室のブーツの跡は兄のブーツや警察のブーツの痕跡の可能性が高い。
スタンガンの跡と思われていた、体に残されていた傷。
内部犯行であればスタンガンを使う必要はなかったと思われた。事件当日のラムジー家の写真を見返し、鑑識に再鑑定を依頼。体に残されていた傷は兄の電車の線路のおもちゃの傷幅と一致。
外部犯行理由と思われていた3点が見直され、ジェームスは内部犯行の疑いを強めた。
2009年 ジェームスが事件の全てを調べ直した資料を再提出。
それによって、再び事件が動き始める。
父親は生出演で兄・バークは当時9歳、29キロという体型。犯行できるはずがない。と語る。
そして、娘への愛情、何も隠すことはないから今日この場に来ていると話した。
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